「竹田流」人間力の高め方
発売記念スペシャル寄稿

常に変化し

進歩することを求める。

そのために貪欲に

新しいものを取り入れ、

探究を怠らない

直江 光信(なおえ・みつのぶ)

1975年4月21日生まれ、熊本県出身。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。大学時代はGWラグビークラブに所属。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。現在はラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。

若者を本氣に

させるために、

惜しみなく純粋な愛情を

注いでくれる存在

 初めて竹田寛行監督に会ったときのことをよく覚えている。
 2008年4月3日。場所は熊谷ラグビー場のたしかBグラウンドの裏あたり。当時は御所工業から御所実業へと移行する過程の時期で、チーム名表記は「御所工・実」だった。
 その日、御所工・実は、全国高校選抜大会の2回戦で前年度花園優勝の東福岡を破った。スコアは31-7。快勝よりも圧勝に近い完勝だった。ちなみにこのときの東福岡の左プロップは現NTTコミュニケーションズの上田竜太郎で、フルバックは現在東芝で共同主将を務める小川高廣である。
 白状すると、その頃32歳の本稿筆者は、東福岡が負けるなんてこれっぽっちも考えていなかった。かたや3カ月前に日本一になった全国屈指の強豪で、かたや近畿5位枠の初出場校だ。だから試合終了直後は何が起こったのかうまく理解できず、夢でも見ているような感覚に襲われた。少し経って、これはしっかりコメントをとらねばと我に返り、グラウンドから引き揚げていく選手たちの列をあわてて追いかけた。
 その先頭に、竹田監督はいた。大金星にさぞご満悦だろう…と思いきや、予想に反し表情は険しかった。野太い声で矢継ぎ早に選手へ何やら指示している。話しかけるのがためらわれるような雰囲気だ。少し間を置き、意を決して声をかけた。

――あの、少しお話をうかがいたいのですが…。
 目深にかぶった帽子の下で、大きな眼がぎょろりと動いた。
「ちょっと待っとってください」
 ピシャリと放たれた言葉に、背筋に冷たいものが走るのを感じた。しまった。タイミングを間違えたか――。
 実はこのとき、竹田監督がピリピリしていたのは、翌日の試合に向けいち早く選手たちにリカバリーをさせるためだった。その相手は12日前の近畿大会2回戦で悔しい逆転負けを喫した常翔学園。さっそく巡ってきた絶好の雪辱の機会に向け、ゆるんだ空気を作るわけにはいかない。どこの誰かもわからぬ初対面の人間に話しかけられて、気軽に応じられないのは仕方がなかったのだ。

 その後、ひと通りあと片付けを終えると、竹田監督が「さっきはすんませんでした」と帽子を取りながら来てくれた。即席のインタビュー。先ほどとはうって変わって穏やかな独特のかすれ声で、当時、御所工業の予備知識をほとんど持たなかったこちらのつたない質問に丁寧に答えてくれた。そればかりか、「他に何か聞きたいことがあったらいつでも連絡してきてください」と、携帯電話の番号まで教えてもらった。
 あれから13年。「待っとってください」のひと言に肝を冷やした若輩のスポーツライターは、その後、あのとき連絡先に登録した番号に数え切れないほど電話をかけた。何度も学校におじゃまし、面倒な取材対応をお願いして、様々なことを教わった。試合会場では勝ったときも負けたときも心動かされるコメントをもらい、酒席にもたびたびご一緒させてもらった。そうした場で聞いた言葉や体感した空気、つないでもらった縁は、記者生活を続ける上でのかけがえのない財産となっている。
 現状に安穏とせず、常に変化し進歩することを求める。そのために貪欲に新しいものを取り入れ、探究を怠らない。それが、指導者としての竹田監督の凄みだと取材をしていていつも感じる。だから話を聞くたびに驚きがあり、新たな気づきをもらえる。公立高校という環境で、これほど長い間全国の頂点を争うチームを育て続けられる理由も、きっとそうしたところにあるのだろう。
 強面の風貌。グラウンドサイドで大声を張り上げてせわしなく選手たちに指示を出す姿は、“昭和の指導者”そのままのイメージだ。しかしグラウンド上で展開されるラグビーは、どこまでもスマートで洗練されている。ただ自分の考えを押しつけるだけの指導法では、そうはいかない。
 選手を型にはめすぎている。もっと自由にやらせるべきでは。そんな声を耳にすることもある。しかしよくゲームを観察すると、御所実業の選手たちはまったく萎縮していない。それどころか時に監督に言い返すことすらある。どうすればあんな関係性を築けるのか、いまだによくは分からない。ただ、そこに揺るぎない絆があることだけは想像できる。