「竹田流」人間力の高め方
発売記念スペシャル寄稿

部員一人ひとりにコミットする時間が長く
とことん向き合う先生です

菊谷 崇(きくたに・たかし)

 

1980年2月24日生まれ、奈良県出身。御所工業高校→大阪体育大学→トヨタ自動車ヴェルブリッツ→キヤノンイーグルス。日本代表キャップ68。トップリーグ156試合出場。現在は、株式会社Bring Up Athletic Society代表取締役。

竹田先生の指導は自ずと

リーダーが育つ

 竹田先生と初めて出会ったのは中学生の頃です。御所工業高校の受験に合格した直後のことでした。中学の体育の先生が天理大学柔道部OBで竹田先生と交流があり、「御所に行くのならいい先生がいるから紹介する」と、御所工業の体育教官室に連れて行ってもらいました。
 初めて会った竹田先生は優しかったです。髪の毛も多少ありました。体育教官室はアットホームな感じでリラックスして話ができました。それでラグビー部に入部することになるのですが、最初の1カ月は女子マネージャーとパスの練習をしました。ほんとうに楽しくて、なんていい部活だろうと思っていたら、その後はご想像の通りです。当時の練習はただただ厳しくて、先生も怖くて、理不尽なところもありました。竹田先生も試行錯誤されていた時期だと思います。僕が1年生のときに御所工業高校は初めて全国大会に出場しました。
 先生の怖さの中に愛情がこもっていることを感じ始めたのは高校3年生の頃です。部員の中で「はまり」と言われる時期があって、2週間くらい竹田先生に叱られ続けるんです。僕は2年生から3年生に上がる時期に「はまり」ました。
 そのときの部員で、卒業後に京産大からセコムに進むプロップの千巖和彦と、大体大から日野自動車に進むことになるスクラムハーフの田辺光宏がいました。彼らが竹田先生と学校のセミナーハウスで1カ月間合宿したことがあるんです。この2人の成長がチームとって大事だったということです。
 2人は1カ月間、三食昼寝なしで鍛えられたわけです。朝練習して、その後、僕ら他の部員は帰るのに、2人は走り込みをする。そして、教官室で竹田先生の手作りどんぶり飯を食べる。それを見て、この先生、ほんまにすごいと思いました。愛情がないとできないことですよ。
 その後、千巖はリーダーシップをとれるようになった。2年生だった田辺は、1年生の上手いスクラムハーフに抜かれそうだったのですが、この合宿を乗り越えて成長し、レギュラーになりました。
 僕が竹田先生と人としてきちんと会話できるようになったのは、大阪体育大学の4年生で教育実習に行ったときです。すでにトヨタ自動車に就職が決まっていたので、教員免許は必要なかったのですが、竹田先生に恩返ししたい一心で教育実習に行きました。ラグビーの素人だった僕が高校日本代表になり、7人制日本代表、15人制日本代表、そして、キャプテンとしてラグビーワールドカップ2011にも出場した。すべて竹田先生に土台を作ってもらったおかげです。
 竹田先生は部員一人ひとりにコミットする時間が長い。とことん向き合うんです。叱るときも、チーム全体ではなく、そのプレーが上手くいかなかった原因は誰にあるのか、そこを見極めて指摘してくれます。自ずとリーダーが育ちます。
 最近も高校に帰る機会があったのですが、御所のラグビー部員は礼儀正しいし、自立している。ラグビーの理解力も高いです。
 自分がコーチという立場になって、ブリングアップアカデミーで人を育てることに取り組んでいますが、それも竹田先生の影響です。考える力を養い、選手自身が成長していくアプローチの仕方も影響されています。僕は怒鳴りませんけどね(笑)。
 先生の怒鳴っているところを初めて見た人は驚くかもしれませんが、選手はまったくダメージを受けていません。あれは竹田先生が元気で良かったという確認作業です(笑)。
 僕がコーチの道を進み、いまがあるのは竹田先生のおかげです。これからも常に僕の目標でいてほしいし、僕の立ち返る場所は竹田先生なので、現場で指導される姿を見続けていきたいと思います。